|
||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
お探しのものが見つかりませんか? Googleで検索して見て下さい。
|
昨晩、フジBS「東京ラブストーリー」を見て、思わず、涙が零れました。 態とらしかったが一番ドラマしてた90年代初頭。トレンディドラマに昂揚。 ふとした事から・・・ 殆ど音信不通で行き来もなかった姉の夫C氏より、電話が入る。予感は有り。 その前に数回、姉からの電話を着信拒否していたからだ。未だ心に蟠り有り。 音信不通になった原因が「ある巨大な宗教組織」。彼女は私を折伏しようと。 折伏を・・・ 端的に言うと「その組織に引き入れる事」。両親が亡くなったのを切欠に、 そのやり方が少々強引になって来ていた。私は事業に失敗し、多額の借金を。 金の無心に行った際、酷い叱責を受けた後、入会を条件に、援助すると強要。 確かに・・・ 借金の返済には困っていたが、私はそれ以上に、その組織と関わるのは御免。 それを告げると、冷たく「縁を切られた」という形になり、現在迄至る事に。 前出の「ふとした事」とは「住民とのトラブル」。大層困っているらしい様。 C氏からの電話以降・・・ 姉の電話を受ける事に。宗教以外では憎めない姉。今となっては唯一の肉親。 正確に言うと"種(父親)違いの姉"である。私が知ったのは21歳大学生の頃。 衝撃だったが、その後、一人っ子だと思っていた私に、姉弟がいる嬉しさを。 その姉も・・・ 一人っ子だった。育って来た環境は全く違うのだが、何処か似た感覚を共感。 血は争えぬものである。故に、彼女は夫には分からぬ感覚をこちらに求める。 今回の件も、根はこの辺りにある。相談と言うよりは、共感したいのである。 だが・・・ 事が、宗教に及ぶと、共感だけでは済まなくなる。洗脳者はそれが理解不能。 今は様子見の段階。最終的に宗教を強要するようなら、元の木阿弥になる筈。 ある程度距離を取れるなら、肉親としての関係は継続す。それを望んでいる。 ところで・・・ 私の母の最初の夫。つまり、姉の父。今回の関係修復後に、電話で聞いた処、 5年前に亡くなったそう。原因は脳溢血。彼女と別居だった為、看取る人無。 ─────────────────────────────────── *私は、生前、この人に、一度だけ出会した事がある。大通りのビア祭りで。 姉と一緒だったその人は、何となく風貌が「内田裕也」似。個性的で堅気 には見えなかった。私が元妻Sの子だと知ると、何とも言えない嬉表情に。 姉によると、うちの母に未練があったのか、生涯、再婚はしなかったそう。 ─────────────────────────────────── 彼女に連絡が入ったのは死後5日後。夏だった為、死体は異臭を放ち始める。 逆に言うと・・・ 夏だから、5日程度で発見されたかも知れぬ。冬だったら、彼女が訪ねる迄。 彼女によると、身元確認後は、父の死に顔を見ていないとの事。葬式も同様。 結局、彼女は、父の死に顔も、母の死に顔も、じっくり拝めなかった境遇に。 このメルマガで・・・ 取り上げた様に、私の両親も「不慮の事故」により、この世を去ってしまう。 http://www.unlimit517.co.jp/gnews265.htm 医師の検案後、事件等による異状死とは確認されなかった為、警察で身元を。 死体安置所で、両親と対面。変わり果てた姿。何故こんな事に。彼らが何を。 遺体は・・・ 父も母も、爆発後の火災によって「溶けかかっていた」。苦悶を浮かべる顔。 担当医に聞くと「爆発で即死した筈だから、苦痛は感じなかった」だろうと。 死後、火に焼かれた事により、こんな表情が生まれたのか。遣り切れない心。 俺は・・・ 本当に切ないけど、一生、この表情を忘れる事は出来ないだろう。墓場迄も。 とてもじゃないが、葬式で、両親の死に顔を晒す事は出来ず。無理だよ本当。 棺桶と遺体の間に、黒い布。その間に、参列者方々には、花を手向けて頂く。 どんな死に様であろうと・・・ 肉親がそれを背負って行くのが「人の道」。形じゃなく、心で祈って下さい。 今、般若心経を唱えながら、仏壇の前で拝んで来ました。お釈迦様を通して。 宗教は形じゃなく、貴方の心にあるものです。姉もそれに気付いてくれれば。 生前・・・ 両親の本籍は、どんな所に転勤しようとも、ずっと「小樽市東雲町52」。 父にとっては、母と出会った場所、仕事の初任地。母にとっては、父と、 出会った場所であると同時に、姉の父と結婚した場所。想い出が深い筈です。 亡くなった後・・・ 辛うじて、残された母のメモ帳を見てみると、父の事を「忠耕さん」と記す。 私の知らない母と父の愛情深い関係。何だか、親の事ながら、心ほんわかに。 夫婦の事は肉親でも把握し切れず。ましてや、他人等。そういう思い新たに。 私が・・・ 生まれたのも「小樽」。けれど、1歳には苫小牧に。殆ど、記憶には残らず。 しかし、1年の内、無性に「小樽」に行きたくなる時期がある。どうしても。 行くと心が収まる。汽車から見る海岸に安らぐ。私にとっても此処が出発点。 何時かは・・・ 姉と一緒に、想い出の「小樽」を歩きたいな。私と姉の「ソウル・タウン」。 来月は、いよいよ私の生誕50年。父が50歳の時、私は既に25歳だった。 歩む道は違えども、私には私の道。しなくても良かった苦労など無い。私道。 この時期に・・・ 姉との関係が修復に向かうとは「縁は異なもの味なもの」。付かず離れずで。 基本的には「過去は振り返らず」だが、偶には、想い出に浸るのも良いよね。 でも、格好悪いから「泣くのは一人で」。過ぎなければ、心の浄化すら可能。 一人でも・・・ 寂しくはないけれど、肉親の存在は格別。嗚呼、良かった良かった。の気分。
|
|||||||||
Copyright (C) Unlimit Corporation. All Rights Reserved. |