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大人になったら、勉強しなくても良い?って、思いませんでしたか学生時代。 でも、間違い。大人になったからこそ、受験から離れた勉強が出来るのです。 何か・・・ 遣る瀬無いなぁぁ。もし、自分が殺されても、相手が病気や障害持ちの場合。 まぁ、自分はもう死んでいるのだから、そういう感情にはならないとしても。 遺された家族は、何処に怒りを向けるのでしょう。社会的、法律的には駄目。 両方が・・・ 身内だった場合は、正にこの世の地獄。生み育てた自分らを恨むしかないか。 そんな事例が、大阪でありました。しかし、この場合には、裁判員裁判にて、 障害よりも、再犯防止に重きを置き、求刑超えの懲役20年の判決を下した。 ─────────────────────────────────── ●刺殺されたのは、当時46歳の姉。 ●殺人罪に問われたのは、現在42歳の弟。 ●弟は、アスペルガー症候群。約30年間、引き篭もりの状態。 ─────────────────────────────────── 判決では・・・ ─────────────────────────────────── ●引き篭もり生活から抜け出したい願いが実現しないのは姉の所為。恨み。 ●母親らが、社会復帰後の息子(加害者)との同居を断っている。 ─────────────────────────────────── 早速・・・ マスコミを通して、弁護士や医師が、批判の言。「障害に対する偏見」だと。 でもさぁ、何時も思うんだけれども、「偏見」や「人権」という言葉を用い、 彼らは、加害者側を擁護する。社会正義の様でいて、実は、商売の為だよね。 所詮・・・ もう死んでしまった被害者の事を思っても、金にならない。故に加害者擁護。 この場合の社会正義って、何か空々しいよね。商売>障害の認知って感が大。 支援団体も、遺憾の意だが、批判の目的が明解な分だけ、心情は汲み取れる。 でもさぁ・・・ もし、自分の身内が殺されたら、それがどんな相手でも、殺したいほど憎む。 裁判などじゃなくて、直接、自分の手で殺したいと思っても不思議じゃない。 其処には、法律や社会を超えた「個人の感情」が存する。度し難い程のもの。 それが・・・ 蓋を開けてみたら、生温いと思われる裁判でも裁かれない。どうしてくれる。 「まぁ、法律的には〜」「お気の毒ですが、社会的には〜」正に、殺され損。 「相手は、病気持ちですから〜」「相手は、障害持ちですから〜」納得不能。 弁護士だって・・・ 医師だって、譬え、支援団体の人達だって、身内殺されたら、平常心可能? 法律の為や社会正義の為に、感情を押し殺せるの? 私なら、無理だよ其れ。 ある障害やある病気が、一般社会に、充分に、認知されていない事は分かる。 でも・・・ その人達の権利を守る為に、少数の人達が、殺されても仕様がないのかねぇ。 法律の為に、社会の為に、それで矛先を収めるの。崇高なんだねぇ人間って。 俺は下劣な人間だから、嫌だねそんなの。理解はしたいが、納得は出来ない。 そもそも・・・ 医師が、「これは何々の精神障害だ」とか、「これは何々病」と、正確に、 診断出来るの? 医師によって、意見がバラバラな事は、枚挙に暇がないよ。 科学を全否定はしないけど、昨今の「精神障害の病名」だって未だ日が浅い。 一般社会だけじゃなく・・・ その専門の社会に於いてすら、認知されてそれ程経っていない。不確かな物。 そんなあやふやな物を振り翳されて、終いには殺されて、相手は無罪だとは。 法治国家の限界かねこれが。それでも、相手の社会で暮らす権利を認めるの。 なんかなぁ・・・ 法治国家ってのは、何時も、どういう訳か、加害者の方が、味方が多い様な。 被害者は特に死んだら、「死人に口なし」を、遺った家族は痛感させられる。 被害者はどうでも良いの?加害者(障害持ち)の権利を充足させれば良いの? 偏見は・・・ どちらなんだい。殺された被害者に思い至る事はあるのかい全く。この人に、 生きている権利はなかったの?少数者の権利を守る方が、社会的には大事? こんな疑問が、ずっと頭を擡げていた。正に、これらが被害者に対する偏見。 だから・・・ 幾ら、加害者が、障害を持っていても、ルールはある筈だ。そして守らせる。 確かに、その障害は、本人が望んでなった事ではないかも知れない。けれど、 権利を主張するなら、守るべきルールも存在して良い。権利のみでルール無。 それなら・・・ 一緒に社会生活を営むのは無理。どうか、弁護士、医師、支援団体の皆様は、 権利を主張するのと同時に、ルールを設定する事を忘れずに。譬え、障害を お持ちの方達だって、守れるルールがある筈。それがセットでなければ偏見。 私達も・・・ 様々な障害や病気に対する認知を更に深める様努力しますので、御願います。 其れが正に「共存共栄」なのではないでしょうか。一方が、一方に対して、 強制するのは解せません。一方の権利が肥大化すると、他方の権利を抑圧す。 これからは・・・ 障害者の権利も守りつつ、殺され損という被害者の生存権だって、守るべき。 比重はどちらにも均等であるべき。マスコミの報道の比重も考えるべきもの。 一方から丈見れば、どちらも「偏見」。偏った見解になるのは已むを得ない。 だからこそ・・・ お互いに足を一歩踏み出しましょう。弁護士だって、医師だって、都合良く 商売を社会正義に摩り替えないで下さいね。もう少し、大所から物を見てね。 それから、こういう障害者の犯罪は、一般事例よりも少ないという確率論無。 そんな事を・・・ 論っても、意味がありませんから。被害者が殺された事には変わりがない。 そして、変わりがない=代わりがない。家族にとっては唯一無二の人だった。 お互いに思いを馳せる。それが「偏見」を緩やかにする方法の一つだと思う。 だから貴方も・・・ 子供に「勉強しなさい」という前に、先ず、自分から。これは関係ないかな。
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