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決め付けて良いのか?本当に必要なのは2 日本は"高水準の医療技術"を持っている。しかし、今の医療で決定的に遅れ ているのが「ヘルス・リサーチ」の中の「バイオ・エシックス」問題の対策だ。 【"終末医療"に対する倫理とは?】 この「バイオ・エシックス(生命倫理)」を考える上で、どうしても避けては 通れない道が、"終末期医療"や"尊厳死"という問題である。人間はいかに最後 を迎えるのか、あるいは、最後を迎えさせてやるのか、問題の根本は深い。 「北海道警察は、先月、"ある事件"の医師を、殺人の疑いで書類送検」 ある事件とは・・・『道立羽幌病院の人工呼吸器取り外し』の事である。 2004年2月14日午後、昼食を喉に詰まらせ、心肺停止で運ばれた90 歳男性。直ぐに、同病院医師は、蘇生を実施。しかし、その男性は、瞳孔が 開き、光にも反応せず、脳死状態。医師は、家族に状態を知らせた。 家族の希望で、人工呼吸器を装着。翌日午前、今度は、家族が「延命治療の 中止」を要望。医師は、親族立ち会いの下に、人工呼吸器のスイッチを切る。 患者の男性は、15分後、死亡。 北海道警察は、今年5月18日、殺人の疑いで、この医師を書類送検した。 私は、このニュースを聞いて、率直に「どこが問題なの?」と思った。もう、 生きる可能性が、ほとんどなく、家族が"延命治療の中止"を求めている。医師 は、的確に判断し、それを実行した。 しかも、こんな脳死状態では、「本人の意思確認」など出来る訳もない。こ れが"殺人罪"に問われるのならば、医師は一体どういう処置を執らなければな らないのか。皆目見当がつかない。 ─────────────────────────────────── 次のような判例("延命治療"の中止に関する)がある。 ─────────────────────────────────── 1.治療不可能な病気に侵され、死が避けられない末期状態であること。 2.治療行為の中止を求める患者の意思表示が中止の時点にあるか、家族によ る患者の意思の推定があること 3.自然の死を迎えさせる目的(尊厳死?) ─────────────────────────────────── 上記が、中止の3条件なのだが、どれもこれも余りにも、中途半端で、不 明確である。1にしても、「死が避けられない末期状態」とはどういう状態な のか?それを見極めるのが、専門家である医師であるはず。ならば、何故、羽 幌の医師が罪に問われるのか?? 2についても、本人の意思確認が取れない以上、家族から同意を得ている。 人工呼吸器のスイッチを切ったのも、苦痛をなるべく与えずに、「自然死を迎 えさせるのが目的」ということが、言えるのではなかろうか。 現役の医師に聞いてみると、「臓器移植」などの事情がない限り、いくら脳 死状態でも、人工呼吸器を外すことは、出来ないようである。この辺りを、詳 細に規定するガイドラインがないので、現場の医師は、急場において苦労する。 実は、今回の医師が問題だったのは、脳死と判断してから、人工呼吸器を外 すまでの時間が短すぎたのだ。極端に言えば、それなりの時間経過、それなり の延命治療を行った上で、取った行動ならば、許されていた可能性が高い。 「それじゃ、"それなり"って、どのくらい?と問いかけたくなる」 医師じゃなくても、イライラしてくるのに、現場の苦労は、さぞ大変なこと だと思う。緊急に、「脳死からどの位の時間経過が必要」なのか、「死が避け られない末期状態」とは、"具体的にどういう症状か?"ということなどを、明 確に決める必要がある。 「こういうことを明確にすること=バイオ・エシックス(生命倫理)の意義」 【"アメリカ"は30年前から・・・】 私は、何に関しても、アメリカのやり方が、良いとは思わない。だが、この 分野については、進んでいると言わざろう得ない。アメリカも1970年代の 初頭くらいまでは、「医師主導」の治療であったが、半ばくらいから、「患者 主体」の治療に、移行していった。 この契機になったのが、「患者の権利章典」、つまり、"患者の権利"を明確 に示した取り決めである。当時の日本では、全くと言っていいほど、こういう 概念や行動はなかった。 メディカル・リサーチ(医療に関する研究)というと、医師主導になるが、ヘ ルス・リサーチ(健康に関する研究)というと、今度は、患者が主役になってく る。権利章典を機に、メディカルからヘルスに、移り変わったのである。 その上、医師側が、患者の目線まできちんと下りて、納得して診療を受けて もらうという"インフォームド・コンセント"が一段と進んだ。しかも、「良い 薬を早く、求める人に」という強い意識が、"臨床治験"の分野にも波及した。 「翻って、それから"約30年後の日本"では、どうだろうか?」 がんで苦しんでおられるたくさんの方々が、「1日も早く、良い薬を求めて いる」のに、一向に進まない"臨床治験"の実体。未だに、「全て俺に任せてお け」といい、"インフォームド・コンセント"など無視したかのような「医師主 導」の医療実体。「患者の権利」など、完全に、蔑ろにされている。 医療に携わる製薬会社などのメーカー側も、積極的な情報開示ではなく、あ くまでも、他のところを見て、"そこそこの情報開示"をしている体たらく。本 当に必要なのは、患者に"有益な情報"を、惜しみなく提供することなのだ。 【"日本"の大きな問題点】 前章で、「惜しみなく提供すること」と言ったが、実は、日本には大きな問 題点がある。「医薬品の広告・宣伝は、医師に対してしか、出来ない」のであ る。だから、消費者に対して、"医家向け医薬品"の広告を出していない。 これは、"臨床治験"の広告にも、当てはまります。新聞やテレビなどで「何 の薬で治験者を求む」だとか「いついつ治験を行います」などの広告やCMは 見たことがないですよね。上記のような縛りがあるから、許されないのです。 日本の倫理では、「医者がその薬を処方する時には、患者に対して、注意を 与えた上、情報を明かして、処方箋を書くから、薬の名前を教えても良い。し かし、製薬会社が、医者を通り越して、直接、患者に情報を渡すことはいけな い」という認識に、なっているようです。 ある意味、医者も製薬会社もグルになって、「日本の患者には、きちんとし た判断能力がない」とバカにしているようです。 「それでは、日本の現状を少しでも、良い方向に持って行くには?」 バイオ・エシックスの先進国・アメリカでは、ラジオ番組などでも「色々な 事を、医者に聞いて、きちんと答えてくれない医者がいたら、そういう医者の ところには、行かないように」という放送を消費者(患者)向けに流すそうです。 日本では、とても考えられないことですが、それほど、患者の権利である"イ ンフォームド・コンセント"の意識が、進んでいるということでしょう。ここに は、患者に対して、有益な情報を提供しようとする倫理が確立されています。 それから、アメリカの病院の中には、独立した1つの科目「バイオ・エシッ クス(生命倫理)科」というものが、あります。患者が、ここに相談すると、色 々とアドバイスをしてくれて、場合によっては、カルテに書き込んでくれると いうことまで、やってくれるそうです。 更に、ここの"専任バイオエシシスト"は、研修医が、病室を回る時に、一緒 について歩き、その都度、「こういう場合は、倫理的に、どういう問題がある か?」などを、教えているそうです。 日本でも、早急に、"専任バイオエシシスト"を作り(人材、試験、制度を含め て)、研修医と共に、ラウンドするようになれば、「医療倫理」の向上に役立つ ことは、間違いありません。 広告規制も、早急に撤廃すべきです。「医家向け医薬品の情報」や新薬を素 早く使えるようにするための「臨床治験情報」に関しては、消費者(患者)に向 け、どんどん広告し、情報を共有していくことが、肝要です。 ─────────────────────────────────── ["生命倫理"に対する解決策] 1."インフォームド・コンセント"の意識 2.「バイオ・エシックス(生命倫理)科」の創設 3."専任バイオエシシスト"を作り、それらを、教育、育成する。 その上で、研修医とのラウンド。 4.「医家向け医薬品」と「臨床治験」に対する広告規制の撤廃 ─────────────────────────────────── 「"生命倫理問題"を解決して行くには=物事を明確にし、分かりやすくする事」 **貴方は考えたことが・・・ http://tinyurl.com/d8y6s
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