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永久に記憶に留めるだろう
何か、春めいて来るとウキウキしますなぁ〜。特に何も無くても、心が騒ぐ。 北海道の場合、冬が厳しいだけに一入。自然に顔も綻ぶ。それだけでも幸福。 幸福序でに・・・ 貴方の記憶は「何歳」位から、ありますか?何となくでも、うろ覚えでも可。 私は、幼稚園に入る少し前。「4歳」位の時だと思います。何となくですが。 幸福な理由は、再度、「生誕地・小樽」を訪ねる事。もちろん、記憶は無し。 それでも・・・ 今年に入ってから、妙に惹き付けられている。逃れられない魅力の引込み線。 最初は半年毎、その次は三ヶ月毎、結局は一ヶ月毎に。千歳−小樽の間って、 思っていたよりも近い。一時間位。程好い近さ。気に入ったホテルも発見す。 心落ち着く・・・ 洋食屋も見つける。自然の巡り合わせが渦巻いている様。予定していた処が、 酷過ぎたから、尚更だった。旅の醍醐味は「食事」と「宿泊」。この2点が、 満たされたら、其の旅は9割位成功じゃないの。後は、所期の目的を達する。 その事に・・・ 集中出来る。今回の目的は、前回達し得なかった目的。亡くなった両親らは、 ここ小樽で結婚した。父は初婚で、母は×1だった。母の件を知り得たのは、 俺が大学卒業間際の22歳の時。私には姉がいた。あの母が‥。少し驚愕す。 両親は・・・ 結婚したこの小樽が愛しかった。ずっと忘れない為に「本籍」をこの場所に 置いておいた。とても短い住所で直ぐに覚えられた。当然、私の脳裏にも刻。 今回も、小樽を訪ね様と思ったのは、この住所が切欠。私にも忘れられない。 記憶が無いにも・・・ 拘わらずだ。何か記憶以前の物事が関係している様な感じがする。本能的な。 恐らく、訪ねても、50年以上も前の建物や縁の物は存在しないだろう。否、 周辺だって、様変わりしている筈。そんな辺を訪ねる意味があるのか。ある。 理屈ではない・・・ だからこそ、本能に委ねられている。その上、当時の住所は現存する住所と、 一致しない。どうしようか?ネットで色々検索したが、当時と現在をつなぐ 住所は見つからなかった。それならば、「戸籍」に関する事。小樽市役所と。 早速・・・ 「戸籍住民課」に事情を説明するメール送付す。翌日、丁寧なメールが戻る。 それによると、どうも当時の住所は、現存する住所に於いては、5ヶ所位に、 跨る様。この町名は、観光スポットではない為、小樽ではマイナーな部類と。 確かに・・・ 前回、行って見ると、少し判り難い。少し掠るのだが、中々、目的住所には、 辿り着かず。とうとう暗くなってしまい、諦める事に。「次回の宿題に」と。 ホテルに戻って、ネットで再び地図を検索。大体判明。件の「洋食屋」向う。 http://r.gnavi.co.jp/h026200/ そこで・・・ 昼食を摂る。気持ちが良い。居場所が存在する感じ。暫しの時間を過ごす様。 それから、少し歩いて、ローソンの前の下り坂を歩く。どんどん近づく予感。 父母の吐息が聞こえて来そうだ。ここが、貴方方の暮らした場所なのですね。 T町・・・ 1番4号、1番7号、1番8号、1番12号、3番17号、どれなのだろう。 取り敢えず、探して見る事にした。小樽だけに「坂道」が存在する処だった。 少し歩いて、分かった。ここは地番が一寸錯綜している。詰まり、不規則と。 それでも・・・ 何とか5か所を探し終えた。住んでいた雰囲気がありそうなのは、1番4号。 何となくそう感じた。50年以上も前に、恐らく、彼らはここに住んでいた。 そして、ここで、私が誕生した。今年で53歳。父のその時、私は29歳と。 随分・・・ 歩んで来たものである。私は結婚しそうもないが、父と母は晩年迄良い関係。 微笑ましかった。遺品として手帳。其処には、母が変わらず父を愛していた。 この両親の元に生まれた事を私は感謝する。そして、小樽の地で生まれた事。 有り難う小樽・・・ 又来るよ。待ってて。脳裏に焼き付く1番4号。永久に記憶に留めるだろう。
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