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本当に「無罪」であると思っているのか。
宮崎勤・死刑判決への反応1 状況は全く異なるが、幼児が犠牲になる事件が、最近も起きた。どんな状況 であろうとも、守らなければならない子供達。加害者の"心の闇"は二の次だ! 【同じ"37年"生まれ】 1月17日、「ある判決」が、最高裁で言い渡された。 それは・・・宮崎勤(43)という男に、「死刑」が確定されたというもの。 この宮崎勤という男が起こした事件とは・・・『連続幼女誘拐殺人事件』 ─────────────────────────────────── 1988(昭和63)年8月、埼玉県入間市で、宮崎勤が、幼稚園児(当時4歳) を車で連れ去り、東京都五日市町(現あきる野市)内の山林で、首を絞めて殺害。 同年10月〜1989(平成元)年6月にかけて、同県飯能市や川越市、東京都 江東区で、4〜7歳(当時)の幼女3人を次々と殺害した。 更に、この事件の特徴だったのは、「遺骨を被害者の自宅に届ける」「犯行声 明や告白文を報道機関に送る」など…。今までになかった手口で、展開し、異 常な様相を呈していったことである。 ─────────────────────────────────── *1989年は、昭和天皇の崩御のため、1月7日までが、昭和64年だった。 ─────────────────────────────────── もう、18年近く前の事件なので、記憶が薄れていた方も、多いと思う。し かし、私は、「極悪非道な犯行」「"アナグラム"を使った斬新な手口」「残虐 な殺人とは正反対の容姿」などから、強く脳裏に焼き付いている。 おそらく、犯行声明や告白文に、"アナグラム=文字を色々と組み合わせて、 意味を形成する"を、初めて大胆に使った事件は、これが初めてだったと思う。 その後、神戸児童連続殺人事件の酒鬼薔薇聖斗などにも、踏襲されている。 しかも、彼は、生まれ年が、私と同じだった。マスコミなどでも、昭和37 年生まれが、クローズアップされた。宮崎勤のイメージから、「オタク世代」 などとも、呼ばれ始めていた。当時、肩身が狭かったことを覚えている。 ここで、宮崎勤の生い立ちを・・・ ─────────────────────────────────── 1962(昭和37)年8月 東京都五日市町(現あきる野市)の地元新聞・印刷 会社を経営、裕福な父親の長男として誕生。 祖父が村会議員、父親が自治体役員、地元の名士 しかし、彼は、「生まれつき両手のひらを上に向 けることが出来ない難病(両側先天性橈尺骨癒合症」 を持っていた。 家には、祖父母、両親、叔母3人が住んでいた。 ─────────────────────────────────── 幼稚園の時などは、「お遊戯が死ぬほど辛かった」と供述している。なぜなら、 それは、上記、難病のためである。 彼が、父親や母親にあまり心を開かなかったのは、「この難病の治療をきちん としてくれなかった」という恨みがあるのではないかと思われる。 ─────────────────────────────────── 小学校の時は、怪獣に詳しく、「怪獣博士」などと呼ばれていたが、決して、 クラスの人気者ではなく、目立たない存在だった。この時代に、こんな逸話が 残されている。 *私も「怪獣博士」と呼ばれていた。私達の世代は「ウルトラマン」と「仮面 ライダー」は、どうしても友達との関係の中で、欠かせないアイテムだった。 「うちのことを、作文に書きなさい」という課題に対して、彼は、家業であっ た印刷の工程のことは、詳しすぎるほど良く書かれていたが、そこには、家族 の姿が全く書かれていなかったとのことだ。 ─────────────────────────────────── 中学時代も、小学校とそれほど変わらず、友達も少なく、仲間からは孤立した 存在であった。学力は、"中の下"くらい。 ─────────────────────────────────── 高校は、通学に片道2時間もかかる都心の高校を選んだ。理由は、「ずっと、 掌を気にしていたため、女生徒がいない男子校」にしたとのことである。 だが、高校時代の学友にも、「目立たなくて、暗い人間」という印象しか与え なかった。学力も、"中の下"くらい。 ─────────────────────────────────── 1981(昭和56)年4月 "家業を継ぐ"という名目で、T工芸大短期大学部 画像技術科に、推薦入学。 この頃、彼は「パズルに熱中」し、専門誌に、パ ズルの回答を頻繁に送っていた。けれど、異性に 関しては、"掌のコンプレックス"から、興味はな かった様子だった(実は、人一倍あったのでは?)。 それを裏付けるように、友人とテニスの試合を見 に行き、若い女性の"パンチラ"に興味を示し、そ の後、そういう写真を撮る(今でいう"盗撮")よう になった。 同級生に、タレントの川崎麻世がいたが、その後 のインタビューで、「宮崎を全然覚えていない」 と答えている。 ─────────────────────────────────── 1983(昭和58)年4月 短大を卒業後、父親の紹介で、叔父が経営する印 刷会社に就職。しかし、勤務態度は、無気力で、 怠慢、同僚の評判は最悪であった。 ─────────────────────────────────── 1986(昭和61)年1月 23歳。原因不明の「左の顔が変形する神経麻痺」 に罹った。脳器質への異常な影響がある場合も。 ─────────────────────────────────── 3月 職場を依願退職させられる。3年間のサラリーマ ン生活もエンド。この後、自宅にこもり、ビデオ 三昧の生活を送るようになる。 ─────────────────────────────────── 9月 運転免許を取得後、家業を手伝うようになった。 アニメ同人誌を発刊したが、仲間から嫌われ、協 力も得られず、わずか1号で、廃刊。 父親の意向で、4回見合いをさせられたが、ほと んど会話が成り立たず、全て断られた。 ─────────────────────────────────── 12月末 母親が、180万円の車を買い与える。 自分勝手なドライブで、友人をあきれさせる。 2年半あまりで、走行距離約4万2千キロ。 サラリーマン生活で、貯金が300万円以上あっ たが、そのほとんどを惜しげもなく、ビデオテー プの収集に費やす。 ビデオサークルの会員になる。会員は、「放映さ れないテレビの録画代行をしあえる」という特典 があり、宮崎にとっては、願ったり叶ったりだっ た。だが、自分勝手な性格から、ここでも仲間は ずれにされた。 ─────────────────────────────────── 1988(昭和63)年5月 彼に一番優しくしてくれ、頼りになった祖父が、 犬を連れて、散歩中に、突然、脳溢血で倒れ、5 日後に、88歳で死亡した。 形見分けの席で、親戚に暴言を吐く。 49日の法要で、家族と言い争って、窓ガラスを 割る。 7〜11月 五日町内のビデオショップで、45 本のビデオを、万引。 26歳の誕生日。 ─────────────────────────────────── 8月22日 最初の犯行に及ぶ。 ─────────────────────────────────── "彼の生い立ち"を見てくると・・・ どう考えても、"彼の生きる上での杖"であった祖父の死が、彼のつっかえ棒 (我慢)を外し、遂に、引き金(殺人)をひいてしまったのだろう。その根底には、 「掌の障がい」を小さい頃から、背負わされた(彼自身、そう思っている)恨み 辛みのようなものが、感じられる。 【"ビデオ=殺人"に結び付くのか?】 宮崎勤の部屋から、押収されたビデオは、計5,793本。捜査員は、とに かく「何が映っているか?」を確認するため、74人の捜査員と50台のビデ オデッキを投入したにもかかわらず、何と"2週間"もかかったとのことだ。 この中で、宮崎自身が撮影したり、録画した「事件関連のもの」が88本見 つかっている。 その他のビデオの種類は、おおよそ次の「5つ」に大別される。 ─────────────────────────────────── 1.スプラッター(首や体が切り刻まれる)作品を含む"ホラーもの"作品 ─────────────────────────────────── 「血肉の華」「ピーターの悪魔の女医さん」「ギニーピック」など ─────────────────────────────────── 2.アニメ作品 ─────────────────────────────────── 「宇宙戦艦ヤマト」「タイガーマスク」「いなかっぺ大将」 「ゲゲゲの鬼太郎」「魔法使いサリー」など ─────────────────────────────────── 3.特撮モノ作品 ─────────────────────────────────── 「ウルトラマン」「仮面ライダー」「秘密戦隊ゴレンジャー」など ─────────────────────────────────── 4.テレビドラマ作品 ─────────────────────────────────── 「太陽にほえろ!」「隠密剣士」「コメットさん」「女王陛下の007」 など ─────────────────────────────────── 5.アイドルもの作品 ─────────────────────────────────── 「松田聖子」「ピンクレディのすべて」「後藤久美子」など ─────────────────────────────────── この他にも、数は少ないが、「CF」とタイトルを付けたコマーシャルもの、 プロテニスやプロレスなどのスポーツ中継、アフリカの自然に生きるライオン や、キリンなどのテレビドキュメンタリー番組まで、あったそうである。 しかし・・・ 事件に関連すると思われるような「性的なもの」や「残酷なもの」は、全体 のわずか1%に、過ぎなかった。また、どちらかと言うと、テープの使い方な どに、杜撰なところがあり、彼は、マニアというよりは、数を多く収集するコ レクターだったのではないかと、指摘する専門家もいる。 正直・・・ 数はこんなに膨大ではないが、"ホラーもの"を除くと「民間交渉人2・Tak」 のコレクション、つまり、私の所有物とされても、全然、違和感がない。同年 代の人々は、そう思っている人が多いのではないだろうか。 だから、私は、「オタク的な彼の趣味」に問題があるのではなく、"彼の生 い立ち"が、密接に関わっているのだと考える。特に問題だったのは「両親と の間にほとんど会話がないこと」特に、父親との"コミュニケーション的断絶" が、最大の要因であろう。 その父親は、事件から5年後の1994(平成6)年11月21日、東京都 青梅市内の多摩川にかかる神代橋から、投身自殺を図り、全身打撲で、死亡し ている。 「来週は、この事件と判決に関するマスコミと弁護士の反応を取り上げます」 **何が"闇"なのか・・・→ http://tinyurl.com/ap6a4
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